松山 芳野里(読み)マツヤマ ヨシノリ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松山 芳野里」の解説

松山 芳野里
マツヤマ ヨシノリ


職業
声楽家

専門
テノール

生年月日
明治27年 11月23日

出身地
鹿児島県

学歴
東京音楽学校中退

経歴
バイオリンを習ったが、東音で声楽科に転科を希望、認められず、ウェルクマイスターの勧めで中退。帝国劇場と契約し、テノール歌手に。大正4年渡米、サンフランシスコを振り出しに各地オペラハウス出演欧州でも認められた。戦後日本に帰り、80歳近くまでつやのある声でリサイタル活動を続けた。

没年月日
昭和49年 6月17日 (1974年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「松山 芳野里」の解説

松山 芳野里
マツヤマ ヨシノリ

大正・昭和期の声楽家(テノール)



生年
明治27(1894)年11月23日

没年
昭和49(1974)年6月17日

出身地
鹿児島県

学歴〔年〕
東京音楽学校中退

経歴
バイオリンを習ったが、東音で声楽科に転科を希望、認められず、ウェルクマイスターの勧めで中退。帝国劇場と契約し、テノール歌手に。大正4年渡米、サンフランシスコを振り出しに各地のオペラハウスに出演、欧州でも認められた。戦後日本に帰り、80歳近くまでつやのある声でリサイタル活動を続けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松山 芳野里」の解説

松山芳野里 まつやま-よしのり

1891-1974 大正-昭和時代のテノール歌手。
明治24年11月23日生まれ。はじめ東京音楽学校(現東京芸大)でバイオリンをまなぶ。声楽への転向をのぞみ,大正2年学校を中退して帝国劇場と歌手契約。4年アメリカ各地のオペラハウスに出演,のちヨーロッパでも好評をえる。戦後は後進育成につとめた。昭和49年6月17日死去。82歳。宮崎県出身。本名義方(よしのり)。

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