朝日日本歴史人物事典 「松山高吉」の解説
松山高吉
生年:弘化3.12.10(1847.1.26)
牧師,聖書翻訳者。越後(新潟県)糸魚川に生まれる。幼少より国学,漢学を京都,東京で学んだ。平田派神道の立場から反キリスト教の目的で変名して神戸のD.C.グリーンの英学塾に潜入するが,キリスト教を学ぶうちに信仰を得て,明治7(1874)年摂津第一公会(神戸教会)の初代受洗者となる。以来,牧師として,同志社社員として,また同志社,神戸女学院,平安女学院で教えるなど,多彩な活躍をした。ことに同志社では新島襄亡きあとの混乱期をよく指導した。また日本で最初に全訳された『旧約聖書』『新約聖書』の翻訳に協力して中庸にして荘厳な文体を工夫し,日本最初の讃美歌の編纂にも参加,自ら作詞もした。キリスト教の日本への土着化への道を模索しつつ,超教派運動に理解を示し,また実践し,最後は聖公会の堅信礼(信仰告白)を受けた。日本初代のプロテスタントのひとり。<参考文献>溝口靖夫『松山高吉』
(原誠)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報