朝日日本歴史人物事典 「松本幸四郎(5代)」の解説
松本幸四郎(5代)
生年:明和1(1764)
文化文政期の歌舞伎役者。俳名錦江,錦升など。屋号高麗屋。4代目松本幸四郎の実子として江戸に生まれる。市川純蔵,3代目市川高麗蔵を名乗って,子役,若衆形から立役に進む。早くから将来を嘱望され,寛政9(1797)年には評判記上上吉となった。享和1(1801)年5代目幸四郎を襲名,ますます名声を上げていった。鼻が高く目に凄みがあり,世に「鼻高幸四郎」といわれて古今独歩の実悪(大物の敵役)役者の名をほしいままにした。その個性的な相貌は当時の役者絵に窺える。時代物,世話物ともによく,写実的な演出や演技を完成させた。鶴屋南北の作品に多く出演し,当たり芸は「時桔梗出世請状」の武智光秀,「絵本合法衢」の早枝大学之助と立場の太平次,「謎帯一寸徳兵衛」の大島団七,「お染久松色読販」の鬼門の喜兵衛,「隅田川花御所染」の猿島惣太,「東海道四谷怪談」の直助権兵衛など枚挙にいとまがない。南北の台詞は難しいといわれるが,それは彼と相手役を勤めた5代目岩井半四郎のリアルな台詞によるところも大きく,このふたりが南北とともに歌舞伎の革新に果たした役割は無視できない。その他の当たり役には松王丸,いがみの権太,仁木弾正,幡随長兵衛などがある。容貌に似合わず性温順,控えめで配役の良否にこだわらなかったというが,傍役で出ても主役を食う力量を見せた。天保5年(1834)に古今無類の名を取ったが,まさに空前絶後の実悪役者といえよう。実子が6代目を継いだが夭折。7代目は9代目市川団十郎の高弟で,明治から昭和にかけての弁慶役者として著名。その子3人が昭和の名優11代目市川団十郎,8代目幸四郎,2代目尾上松緑 となり,8代目は晩年白鸚と称した。9代目はその長男で歌舞伎以外にも出演して活躍している。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』
(井草利夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報