松源寺跡(読み)しようげんじあと

日本歴史地名大系 「松源寺跡」の解説

松源寺跡
しようげんじあと

[現在地名]鎌倉市雪ノ下二丁目

現在のいわや堂の東谷にあったとみられる真言宗の寺。「鎌倉志」にくろがね観音の西、窟堂の山の中壇にあって、本尊地蔵、運慶の作とあり、源頼朝の勧請と伝える。日金山弥勒院松源寺と号し、日金地蔵堂の別当という。開山は貞節(正治二年没)。「吾妻鏡」弘長三年(一二六三)四月七日条に「入夜、窟堂辺騒動、但則静謐、是群盗十余人隠居地蔵堂之間」とある地蔵堂は松源寺の前身であろう。当寺は華光けこう坊とともに鶴岡社僧で供僧一二院の荼毘所であったため、天文一六年(一五四七)一〇月一九日北条氏より一貫文の地の寄進を受けている(「鎌倉代官大道寺盛昌証文」県史三など)


松源寺跡
しようげんじあと

[現在地名]結城市結城 観音町

松源寺は宝永五年(一七〇八)の結城町明細帳之控(田宮家文書)によれば万年山と号し臨済宗華蔵けぞう寺末で寺領五石。建武三年(一三三六)に戦死した結城朝祐の法名を松源寺殿寂円月堂といい、松源寺は後になって朝祐の菩提のために建立されたものとみられる。また結城政勝が自作の自己の木像を安置したというところから御影みえい堂と通称されるようになったようである。政勝の法名を後松源寺殿ともいうから、政勝が寺を復興したのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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