松登 晟郎(読み)マツノボリ シゲオ

20世紀日本人名事典 「松登 晟郎」の解説

松登 晟郎
マツノボリ シゲオ

昭和期の力士(大関) 大山部屋親方。



生年
大正13(1924)年7月20日

没年
昭和61(1986)年4月21日

出身地
千葉県松戸市

本名
永井 福太郎(ナガイ フクタロウ)

別名
年寄名=大山 晟郎(オオヤマ シゲオ)

経歴
昭和16年初場所初土俵。26年新入幕。激しく一気に出る取り口で“重戦車”といわれ、30年秋場所後、若乃花(現・二子山親方)と同時に大関に昇進。しかし左ひざの故障で36年九州場所で引退した。殊勲賞2回、敢闘賞1回受賞。幕内在位は49場所。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「松登 晟郎」の解説

松登 晟郎 (まつのぼり しげお)

生年月日:1924年7月20日
昭和時代の力士
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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