板谷 まる(読み)イタヤ マル

20世紀日本人名事典 「板谷 まる」の解説

板谷 まる
イタヤ マル

明治〜昭和期の教育者,陶芸



生年
明治3年(1870年)

没年
昭和33(1958)年8月7日

出生地
福島県河沼郡坂下町(現・会津坂下町)

旧姓(旧名)
鈴木

別名
号=玉蘭

学歴〔年〕
共立女子職業学校

経歴
上京して社会事業家・瓜生岩の内弟子となり、共立女子職業学校に学ぶ。また、閨秀画家の跡見花蹊門人として日本画も嗜んだ。同校を卒業後に帰郷し、明治25年には瓜生の指導により会津若松に女子職業学校を創立した。28年には瓜生を仲人に陶芸家の板谷波山と結婚。以来、夫から陶芸を教わって自作するようになり、世間から“夫婦窯”と賞された。農商務省の第4回展に出展したほか、大正5年の日本美術協会では皇后御前において夫婦共作の「磁器梅花形菓子器」を実演・制作している。作品は他に「さねかづら葆光彩磁花瓶」「菊花模様彩磁花瓶」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「板谷 まる」の解説

板谷まる いたや-まる

1870-1958 明治-昭和時代の教育家,陶芸家。
明治3年生まれ。社会事業家瓜生(うりゅう)岩に師事,跡見花蹊に日本画をまなぶ。共立女子職業学校を卒業,郷里の福島県にかえり,明治25年会津(あいづ)若松に女子職業学校を創立。28年板谷波山と結婚。夫を師として陶芸にもはげんだ。昭和33年8月7日死去。88歳。旧姓は鈴木。号は玉蘭。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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