枇杷島村(読み)びわじまむら

日本歴史地名大系 「枇杷島村」の解説

枇杷島村
びわじまむら

[現在地名]柏崎市枇杷島・柳橋やなぎばし町・さいわい町・せき町・穂波ほなみ町・宮場みやんば町・城東じようとう一―二丁目・日石につせき町・南光なんこう町・元城もとしろ町・ゆたか町・駅前えきまえ一―二丁目・新橋しんばしたから町・田中たなか米山台よねやまだい一丁目・三島みしま町・剣野けんの

川下流域とかがみおき干拓によって成立した村。東は半田はんだ村・比角ひすみ村、西は大窪おおくぼ村・鯨波くじらなみ村、北は柏崎町、南は横山よこやま村。江戸初期までは琵琶島びわじまと記される。かつては当地一帯にかがみ湖があったと伝え、刈羽郡の古称である三島みしま郡の起りは、鑑湖に浮島のように突出た舌状台地、琵琶島・福島ふくしま勝島かつしま呼称で、琵琶島に郡衙があり、弘仁(八一〇―八二四)の頃八条という人が住したという。

枇杷島村
びわじまむら

[現在地名]西区東枇杷島ひがしびわじま町・枇杷島通・枇杷島町・琵琶里びわざと町・本郷ほんごう町・白菊しらぎく町・松西まつにし町・松前まつまえ

東を春日井郡児玉こだま村と愛知郡さこ(現中村区・西区)、西は庄内川を挟んで春日井郡下小田井しもおたい(現西春日井郡西枇杷島町)と接する。名古屋町方の西外れで、村中を美濃路が横貫し、西境を流れる庄内川に架かる枇杷島橋で下小田井村へつながっていた。織田信雄分限帳に「四百貫文 ひハ島 根村喜蔵」とみえる。その地名の起源については、藤原師長白菊の琵琶にかけて説かれているが、信用できる説ではない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報