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林述斎【はやしじゅっさい】

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  • デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

  • 林述斎 はやし-じゅっさい
     
    1768-1841 江戸時代後期の儒者
    明和5年6月23日生まれ。美濃(みの)(岐阜県)岩村藩主松平乗薀(のりもり)の3男。渋井太室らにまなぶ。寛政5年(1793)幕命により血統のたえた幕府儒官の林家をつぎ,大学頭となり,昌平坂の聖堂学舎を幕府の学問所(昌平黌(しょうへいこう))とする。幕府の事業として「寛政重修諸家譜」「徳川実紀」などを編修,「佚存(いっそん)叢書」も刊行。天保(てんぽう)12年7月14日死去。74歳。名は衡(たいら)。字(あざな)は徳詮。別号に蕉隠,蕉軒,天瀑。
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    (C)Kodansha 2009.
    書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

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  • 美術人名辞典の解説

  • 江戸後期の儒者。美濃岩村藩主・松平乗蘊の三男。名ははじめ乗衡、のち衡、字は叔*・公鑑・徳詮。幼名は熊蔵、別号は蕉軒・天瀑等。渋井太室等に学ぶ。林信敬の養嗣となり、大学頭となる。寛政の改革において林家の聖堂学舎を幕府直轄の学問所(昌平黌)とし、柴野栗山、古賀精里らと教育行政に尽力した。また朝鮮通信士の応接の儀を定めた。『佚存叢書』『徳川実紀』『寛政重修諸家譜』等多数の編纂事業を推進。林家中興の祖となる。天保12年(1841)歿、74才。

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  • デジタル大辞泉の解説

  • はやし‐じゅっさい 【林述斎】
     
    [1768~1841]江戸後期の儒学者。名は衡(たいら)。字(あざな)は徳詮。号、蕉軒。美濃岩村藩主松平乗蘊の子。幕府の命により、血統の絶えた林家を相続し、林家中興の祖と称される。幕府教学行政に尽力した。「徳川実紀」を編纂。著「蕉軒雑録」など。
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  • 百科事典マイペディアの解説

  • 江戸後期の朱子学者。名は衡(たいら),字は徳詮(とくせん)。美濃(みの)国岩村藩主松平乗蘊(のりもり)の三男。渋井太室・細井平洲に学び,徂徠学と折衷学を奉じた。 (1768-1841)
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  • 大辞林 第三版の解説

  • はやしじゅっさい【林述斎】
     
    (1768~1841) 江戸後期の儒学者。名は衡(たいら),字(あざな)は徳詮,号は蕉軒。美濃岩村藩主松平乗蘊(のりもり)の子。林羅山の血統が絶えたので,1793年幕府の命により林家を相続し,大学頭となった。林家中興の大儒といわれた。

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林述斎に近い言葉→牟礼述斎

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