柳原 極堂(読み)ヤナギハラ キョクドウ

20世紀日本人名事典 「柳原 極堂」の解説

柳原 極堂
ヤナギハラ キョクドウ

明治〜昭和期の俳人 元・伊予日日新聞社長。



生年
慶応3年2月11日(1867年)

没年
昭和32(1957)年10月7日

出生地
愛媛県松山

本名
柳原 正之

別名
初号=碌堂

学歴〔年〕
松山中中退

経歴
正岡子規のもとで句作し、明治30年松山で「ほととぎす」を創刊して編集経営にあたる。39年「伊予日日新聞」を再発刊させる。昭和7年上京して「鶏頭」を創刊するが、17年廃刊して故郷に帰って子規会を結成し、もっぱら子規の顕彰にあたった。著書句集草雲雀」や「友人子規」「子規の話」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳原 極堂」の解説

柳原極堂 やなぎはら-きょくどう

1867-1957 明治-昭和時代の俳人,新聞人。
慶応3年2月11日生まれ。正岡子規にまなび,明治30年郷里の松山で「ほとゝぎす」を創刊,翌年同誌を高浜虚子にゆだねる。伊予日日新聞社長などをつとめたのち上京,昭和7年「鶏頭」を創刊,主宰。17年帰郷し,子規の研究と顕彰に専心した。昭和32年10月7日死去。90歳。本名は正之。著作に「友人子規」,句集に「草雲雀」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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