日本大百科全書(ニッポニカ) 「柵戸(きのへ)」の意味・わかりやすい解説
柵戸(きのへ)
きのへ
「さっこ」とも読み、『万葉集』では「きへ」とも読んでいる。古代東北経営のため送り込まれた屯田兵(とんでんへい)。律令(りつりょう)時代になって、蝦夷(えぞ)経営が本格化すると、建設された城柵(じょうさく)の周辺には、数多くの柵戸が送り込まれた。647年(大化3)渟足柵(ぬたりのき)をつくり、柵戸を置いたのが初見。それは、東は尾張(おわり)(愛知県)以東、北は越前(えちぜん)(福井県)以北の東国・北国の民に限られていた。初めは富戸中心だったが、のちには浮浪人や罪人などが徒刑(とけい)として送り込まれた。彼らは「堡村(ほそん)」とよばれる柵戸村を形成し、東北開拓の先兵となった。
[高橋富雄]