柿坂村(読み)かきさかむら

日本歴史地名大系 「柿坂村」の解説

柿坂村
かきさかむら

[現在地名]耶馬渓町柿坂

山国やまくに川右岸に散在し、北は戸原とばる村。もと津民つたみ村の内で、幕末に独立したと考えられる。文久三年(一八六三)の「豊前志」に村名がみえる。旧高旧領取調帳では高一八八石余。幕末には高二五二石余、土免三ツ二分五厘、納高一〇七石余、その他米一一石余・銀九六匁とある(柿坂家文書)。真宗大谷派善正ぜんしよう寺と同派妙泉みようせん寺があり、前者はもと空禅くうぜん寺という禅寺を明応五年(一四九六)甲斐新左衛門道珍が改宗、後者はもと字白水しろうずにあり、禅刹とも天台宗ともいい、永正七年(一五一〇)浄恵のとき改宗、天明年間(一七八一―八九)に現在地に移転したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android