根本如法堂(読み)こんぽんによほうどう

日本歴史地名大系 「根本如法堂」の解説

根本如法堂
こんぽんによほうどう

[現在地名]大津市坂本本町

横川中堂北方にあり、比叡山の焼打ち以前は如法堂または根本如法堂とよばれた。大正一四年(一九二五)ようやく再興され、如法塔と改称した。「慈覚大師伝」などによれば、円仁は一五歳のとき最澄の門に入り、二〇年余の籠山ののち上野や下野巡行、再び比叡山に戻るが、四〇歳の頃病弱となり、視力も衰え、死期を予期して、北方横川の清閑の地に草庵を結んだ。これを首楞厳しゆりようごん院とよび、三年間にわたり法華懺法と四種三昧の入定生活を送ったという。やがて健康が回復し視力も回復したのであろう、法華経八巻六万八千余字を書写している。これを安置する小塔を建てたのが根本如法堂の濫觴であり、横川が三塔の一つに数えられるのはこの宝塔に始まる。如法経濫觴類聚記(門葉記)によれば、如法堂は円仁入唐求法よりの帰朝後、仁明天皇や藤原氏一門の外護を得て檜皮葺方五間の堂宇が建てられ、護持僧二口が給された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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