桃井幸若丸(読み)モモノイコウワカマル

デジタル大辞泉 「桃井幸若丸」の意味・読み・例文・類語

もものい‐こうわかまる〔もものゐカウわかまる〕【桃井幸若丸】

幸若舞創始者と伝えられる人物越前の人。南北朝時代の武将桃井直常の孫といわれる。名は直詮なおあき。幸若丸は幼名。室町前期、比叡山稚児であったとき、平曲声明しょうみょうなどを取り入れて幸若舞を始めたとされる。生没年未詳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桃井幸若丸」の意味・わかりやすい解説

桃井幸若丸
もものいこうわかまる

幸若舞始祖と伝えられる桃井直詮の幼名。系譜によると,南北朝時代の北陸の武将桃井直常の孫で,父の死後親族である叡山光林房の詮信のもとに預けられ,修行中草紙類に節をつけて歌ったのが幸若舞の始りといい,幸若舞の名称は幸若丸をとったと伝えられる。しかし系譜には諸説あり,生年は明徳4 (1393) 年とも応永 10 (1403) 年とも記し,没年は文明2 (70) 年とも同 12年ともいい,父の名,直詮の名ともにまちまちで,幸若舞の始祖としての桃井直詮説には疑問が多い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桃井幸若丸」の解説

桃井幸若丸 もものい-こうわかまる

桃井直詮(もものい-なおあき)

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世界大百科事典(旧版)内の桃井幸若丸の言及

【桃井直詮】より

…室町前期の人物で幸若舞(こうわかまい)の祖と伝えられる。生没年不詳。直詮を〈なおあき〉と読むこともある。幸若系図などの伝承によると,足利氏の一族で,尊氏と戦って滅んだ武将桃井直常の孫で,若くして叡山に入り声明(しようみよう)をよくし,のち工夫して舞を始め,幼名幸若丸にちなんで幸若舞と称されたと伝える。また,後小松天皇に召されたとか,朝倉孝景に仕えて3000貫を領したとか伝える。直詮の出身地は越前国西田中(現,福井県丹生郡朝日町)で,この地は江戸中期まで院内(いんない)とも呼ばれていたところから,武将の子孫とするのは仮託で,実は低い身分の出身とする説があり,敗残の将が芸能民に身を寄せたとも考えられるから,系図などの伝承を大筋で認めてよいとする説などもある。…

※「桃井幸若丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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