朝日日本歴史人物事典 「桐竹紋十郎(初代)」の解説
桐竹紋十郎(初代)
生年:弘化2?(1845)
明治期を代表する文楽人形の女形遣いの名手。本名小林福太郎。桐竹門十郎の子。3代目吉田辰造に入門して辰三郎と名乗り,13歳で大坂御霊の芝居初舞台を踏んだが,18歳のときに大坂を出て旅回りのあと江戸へ行き薩摩座の3代目西川伊三郎に付いて修業,明治9(1876)年に文楽座に帰り父の名跡の門十郎を継いだ。しかし他からの抗議により紋十郎と改める。最初は立役を遣ったがのちに女形に変わり,派手な芸風で人気を集めた。得意の役は「伽羅先代萩」の政岡,「仮名手本忠臣蔵」の戸無瀬,「艶容女舞衣」(「酒屋」)のお園,「妹背山婦女庭訓」のお三輪など。雑誌『歌舞伎』40号に「重の井子別れ」の型の記録がある。<著作>『桐竹紋十郎手記』(未刊随筆百種12巻)<参考文献>『義太夫年表/明治篇』
(山田庄一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報