楊弓場(読み)ヨウキュウバ

デジタル大辞泉 「楊弓場」の意味・読み・例文・類語

ようきゅう‐ば〔ヤウキユウ‐〕【×楊弓場】

料金を取って楊弓で遊ばせた店。神社境内盛り場などに設けられ、矢取り女を置いて、ひそかに色を売らせた店もあった。矢場楊弓店

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精選版 日本国語大辞典 「楊弓場」の意味・読み・例文・類語

ようきゅう‐ば ヤウキュウ‥【楊弓場】

〘名〙 料金を取って楊弓の遊戯をさせる家。江戸時代享和一八〇一‐〇四)ごろ起こり、神社の境内や盛り場などに設けられ、矢取り女を置いて客を呼び、ひそかに淫をひさぐこともあった。明治一九年(一八八六)以後、取締りがきびしくなり、次第にさびれた。矢場。楊弓店。楊弓屋。土弓場
※雑俳・裏若葉(1732)「腰銭の矢だねを尽す楊弓場」

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改訂新版 世界大百科事典 「楊弓場」の意味・わかりやすい解説

楊弓場 (ようきゅうば)

江戸期~明治期に市中で楊弓を遊ばせた遊戯場。江戸では矢場と俗称した。射た矢を集めるという名目で矢拾女(矢場女)がおり,客に接して向き合い,右手に弓を持ち,左手で巧みに射たという。後にはこれが私娼(ししよう)化し,的場の裏の小部屋などで接客した。また,的中者に景品を出したり,射的のように品物をつり下げて射させたので,楊弓場は売春賭博(とばく)の両面で取締りの対象になった。天保改革で禁止されたが,すぐに復活し,浅草奥山には軒を並べていたが,明治中期ごろから衰退した。
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楊弓は唐の玄宗皇帝が楊貴妃とともに楽しんだとも伝えられ,古く中国から渡来したものと思われる。ふつう楊柳でつくった2尺8寸(85cm)の弓に白鳥の矢羽根をつけた9寸(27cm)の矢をつがえ,7間半(13.5m)の距離をおき,垜(あずち)にかけた3寸(9.09cm)前後の的を射るのを定式とした。室町時代には蹴鞠(けまり),詩歌管絃などとともに宮中の七夕の七遊(ななあそび)の一つにも加えられたが,民間にも伝わっておおいに流行し,競技会まで開かれた。
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