槙尾村(読み)まきおむら

日本歴史地名大系 「槙尾村」の解説

槙尾村
まきおむら

[現在地名]新潟市槙尾

西にし川右岸に立地し、東は新通しんどおり村古新田、南は高山たかやま村。正保国絵図では高二〇〇石、長岡藩領。文政一〇年(一八二七)の村明細帳(中野彪氏蔵)では、水利は大潟組合に属し、三九軒・寺一、男一三六人・女一三六人・出家三人で、馬一五疋・作場船一五艘があり、作間稼として蓮根蓮肉の採取を行っている。天保郷帳では高三二九石二斗余。開発者といわれる中野清右衛門は、越前朝倉氏の家臣中野万海入道繁成の子と伝え、主家滅亡後、兄弟三人で来越し、他の二人も赤塚あかつか村・坂井さかい村でそれぞれ帰農したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android