横山郷(読み)よこやまごう

日本歴史地名大系 「横山郷」の解説

横山郷
よこやまごう

かも川流域、現武曾横山むそよこやま一帯にあった中世郷。延文二年(一三五七)五月九日の平氏女田地譲状および寛正七年(一四六六)二月一〇日の八田教次田地売券(以上朽木文書)などから、五条一里から二里、六条二里から三里にわたっていたことがわかる。鎌倉初期大江広元が地頭職に補任され、その後佐々木広綱が地頭となり、承久の乱以後は佐々木信綱が地頭職を得、さらにその子で高島氏祖となった高信・頼綱・頼信と伝えられたとみられる。正慶元年(一三三二)八月三日の佐々木道定頼信譲状(朽木文書)によれば、相伝の所領「よこやま」のうちの地が女子に一期を限り譲られたのち、養子乙寿丸へと譲られている。頼信は横山三郎左衛門尉と称され(浅羽氏家蔵本佐々木系図)、以後その子孫は横山氏を名乗った。


横山郷
よこやまごう

「行基年譜」行年三九歳の条に「文武天皇十年慶雲三年丙午、天皇和泉国和泉郡横山郷内以、横山蜂田寺并四十九院修理料杣被施入、七月八日 勅使正四位下犬上王、(中略)定四至」とみえ、慶雲三年(七〇六)文武天皇により行基建立寺院に材木を供するための杣が当郷内に置かれたという。長元七年(一〇三四)に没した覚超僧都について槙尾寺縁起(施福寺蔵)は覚超の遺骨槙尾まきお(施福寺)に留め墳墓を築いたこと、覚超は和泉国横山郷杣人の子であると記している。池辺家文書の永延三年(九八九)覚超自筆「修善講式」には「願主 当郷近江大掾池辺兄雄第二男 延暦寺僧覚超」と署があり、和泉国の古代氏族池辺氏出身だったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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