横戸村(読み)よこどむら

日本歴史地名大系 「横戸村」の解説

横戸村
よこどむら

[現在地名]花見川区横戸町・横戸台よこどだいこてはし台こてはしだい五―六丁目

柏井かしわい村の東に位置し、上横戸と下横戸の集落からなる。寛永二年(一六二五)知行宛行状では横戸村一〇四石余が旗本石尾領で、幕末も同領。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分でも同様で、旧高旧領取調帳では同領九〇石余と幕府領二六石余。嘉永三年(一八五〇)の助合人足高割帳(中須賀家文書)によると大和田おおわだ(現八千代市)の定助郷村で、江戸湾岸の検分では人足三を負担。天保期(一八三〇―四四)印旛いんば沼掘割工事では耕地一町八反余が川敷土手敷潰地、一町七反余が土置場となった(町野家文書)

横戸村
よこどむら

[現在地名]潟東村横戸甲よこどこう横戸乙よこどおつ

卯八郎受うはちろううけの南、遠藤えんどう村の東に連なる。元和六年(一六二〇)の三条御引渡郷村帳(幸田重寛氏文書)に横戸村三七石三斗余・同所新田二五石九斗とある。同九年まで三条藩、のち幕府領。元和四年の長岡藩知行目録の貼紙に「寛永七年ニ御蔵入とかへ地ニ罷成請取申候」として松橋まつはし(現燕市)とともに村名がみえ、高五七石二斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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