横曾根古新田(読み)よこぞねこしんでん

日本歴史地名大系 「横曾根古新田」の解説

横曾根古新田
よこぞねこしんでん

[現在地名]水海道市豊岡とよおか

東仁連ひがしにれ川東岸に所在。古新田ふるしんでん片布田かたふた大峠おおびよう洲崎すさき新道しんどうの小字がある。元禄(一六八八―一七〇四)以前に横曾根村によって開拓されたと推定され、幕末まで天領元禄郷帳には「横曾根新田」とある。享保九年(一七二四)には飯沼新田いいぬましんでん開発に参加し、起請文(秋葉光夫文書)に他村とともに連印したが、しん(悪水堀)設置の対立から同一〇年五月には脱退し、「飯湖新発記」に「横曾根新田之義唯今ニ罷成御新田望無之旨先比池田喜八郎様も御願ニ罷出(中略)御新田御普請御用ハ勿論何事ニも相勤不申、諸入用金銭も一切差出不申御用差支難義仕候」とあるように、新田開発から脱退し、当村引請けの新田地は取上地となり、同一三年二月に五郎兵衛ごろべえ新田になった。


横曾根古新田
よこぞねこしんでん

[現在地名]上越市横曾根

横曾根村の南、じゆう川右岸に位置。東を吉野よしの道が通る。村名は元禄郷帳にみえ高九〇石三斗余、横曾根村枝郷。天和三年郷帳では横曾根村新田として記されており、天和(一六八一―八四)から元禄(一六八八―一七〇四)の間に一村として独立

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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