櫟木村(読み)いちぎむら

日本歴史地名大系 「櫟木村」の解説

櫟木村
いちぎむら

[現在地名]庄内町櫟木

大分川左岸の河岸段丘上にあり、西は蛇口しやくち村・五福ごふく村、東は池上いけのうえ村・鬼瀬おにがせ(現挟間町)。江戸時代を通じて府内藩領で、奥郷蛇口組に属した(府内藩記録)正保郷帳に村名がみえ田高六六石余・畑高七九石余、阿南あなん庄に所属。柴山有り。旧高旧領取調帳では高一八二石余。長宝水ちようほうすい井手と宝暦元年(一七五一)完成の櫟木井路の水掛りで、寛政六年(一七九四)には長宝水の水掛り三〇石余、櫟木井路は七二石余(「府内藩日記」・三重野家文書)


櫟木村
いちいのきむら

[現在地名]佐賀市久保泉町くぼいずみまち大字上和泉かみいずみ字櫟木

東は神埼郡に接し、北は川久保かわくぼ村、西は上和泉村、南は西尾崎にしおさき村に接する。正保絵図に「一井ノ木村」とある。文化一四年(一八一七)の郷村帳には櫟ノ木村の村域に野中地名があるので、神埼郡境に沿って南に細長く延びていた村かとも考えられる。川久保村とともに佐賀藩親類神代くましろ家の配分地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android