正木 不如丘(読み)マサキ フジョキュウ

20世紀日本人名事典 「正木 不如丘」の解説

正木 不如丘
マサキ フジョキュウ

大正・昭和期の小説家,俳人,医師 信州富士見高原療養所所長



生年
明治20(1887)年2月26日

没年
昭和37(1962)年7月30日

出生地
長野県上田

本名
正木 俊二

別名
旧号=零筑子

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔大正2年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
大正9年パリパスツール研究所に留学、帰国後慶応義塾大学医学部助教授となった。11年朝日新聞に小説「診療簿余白」を連載、作家としてデビュー。以後昭和初期にかけ専門知識を生かした探偵小説「県立病院の幽霊」「手を下さざる殺人」「果樹園春秋」などのほか「木賊の秋」「とかげの尾」と多くの大衆小説も手がける。傍ら、昭和の初めから信州富士見高原療養所を経営、所長を務めた。同療養所は「風立ちぬ」の堀辰雄、婚約者の矢野綾子、竹久夢二らが入院したことや、久米正雄の小説「月よりの使者」の舞台として知られる。一方、独協中学在学中から俳句を始め、河東碧梧桐選「日本俳句」に投句。大学に入ってからは中断したが、のち療養所内の雑誌「高原人」に作品を発表、俳人としても活躍した。句集に「不如丘句歴」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正木 不如丘」の解説

正木不如丘 まさき-ふじょきゅう

1887-1962 大正-昭和時代の小説家,医師。
明治20年2月26日生まれ。教育家正木直太郎の次男。パリのパスツール研究所に留学後,慶大助教授となり,のち長野県の富士見高原療養所長。大正11年「朝日新聞」に「診療簿余白」を連載する。昭和37年7月30日死去。75歳。長野県出身。東京帝大卒。本名は俊二。作品に「木賊(とくさ)の秋」「県立病院の幽霊」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「正木 不如丘」の解説

正木 不如丘 (まさき ふじょきゅう)

生年月日:1887年2月26日
大正時代;昭和時代の小説家;俳人;医師。慶応義塾大学助教授;信州富士見高原療養所所長
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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