比志島名(読み)ひしじまみよう

日本歴史地名大系 「比志島名」の解説

比志島名
ひしじまみよう

皆与志みなよし町および一部小山田こやまだ町に比定される。満家みついえ院のうちで、比志島村、単に比志島ともみえる。満家院の院司職を有した加治木氏の系図(加治木町立図書館蔵)によれば、加治木親平は子息資宗に比志島などを譲り、将軍家下文を得たという。その子幸光(幸満)承久元年(一二一九)七月二四日の将軍家下文により当地などを資宗から得て知行したが、承久の乱で京方について所領を失った。そのため税所兵衛尉祐満がその後所領を得たという。祐満の後は義祐・篤秀・篤胤が相伝したとされる。天福元年(一二三三)一〇月二日の紀道房外二名連署契約状(比志島文書、以下とくに断らない限り同文書)に「満家院内比志島」とみえ、僧智弘・実範・紀道房の三人が以前に大御前(法橋栄尊母菩薩房)に与えられた比志島、西俣にしまた城前田じようまえだ(現郡山町)上原うえはら薗に加え河田かわだ(現同上)についても上総殿(栄尊)への譲与を要求し、義祐の承諾を得ている。宝治元年(一二四七)三月一一日、比丘尼菩薩房は上記五ヵ所の名主職を嫡子栄尊に譲与(寛元五年三月一一日比丘尼菩薩房譲状)、同年一〇月二九日に幕府から承認を得ている(関東御教書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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