朝日日本歴史人物事典 「氏家卜全」の解説
氏家卜全
生年:生年不詳
戦国・安土桃山時代の武将。美濃牧田城(岐阜県養老郡)城主氏家行隆の子。名は,はじめ友国,次いで直元と改め,常陸介を称したが,出家してからの貫心斎卜全の名が有名。土岐頼芸,次いで斎藤道三・義竜・竜興の3代に仕え,稲葉一鉄・安藤守就と西美濃三人衆の名で呼ばれていた。永禄7(1564)年から稲葉,安藤と謀って織田信長に通じた。同12年,北畠具教を伊勢大河内城に攻め,元亀2(1571)年の伊勢長島一向一揆との戦いで,柴田勝家らと共に出陣したが,全軍退却のとき殿軍の役を務め,美濃国石津郡太田村で一揆軍に襲われ討死した。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報