社寺などの組織のうえにたって信仰を説くものと違い、一般民衆の間で信じられている呪術(じゅじゅつ)宗教的な信仰をいう。一例をあげれば、山の神、水の神などの自然神に対する信仰などである。もちろん、多くの人々が信じている既成宗教の神仏が自然神崇拝とまったく別物であるとはいえない。ただ、社寺を中心とする信仰にはその祭神、教祖などといわれる宗祖があるが、自然神崇拝には自然の摂理というものは認められるが、それを統率する人格というものはない。したがって教理、経典などもない。しかし、自然神である山の神、水の神を大きな神社が祭神としている例がある。山の神を大山祇神(おおやまつみのかみ)として祀(まつ)っている神社などがそれである。それゆえ、民間信仰と、社寺を中心とした信仰とがまったく別物だとは断定はできない。双方がどういう信仰形態をとっているかを明らかにするため、村落の民間祭事をみていきたい。
民間の信仰についてまず記述したいのは各種の講(こう)である。講は本来、仏教の檀徒(だんと)組織を強固にするためにつくられたものであるが、中世以後盛んに形成されるようになり、仏教のみでなく村落の民間信仰の結成にも設けられることとなった。講組にはいろいろな特色があるが、村組織としての講には山の神講、田の神講、庚申(こうしん)講、二十三夜講などがあり、これらの講は開くとき会食するので、一定の膳椀(ぜんわん)を備えているものがあった。各講は家の主人が集まるが、二十三夜講は女の講となっている所がある。主婦がとくに集まる講には、観音(かんのん)講、地蔵講、子安(こやす)講、十九夜講などがあり、安産・子育てを祈る。そのほか子供の講として天神講があり、念仏講は60歳以上の男女が集まるという所がある。以上の講は社寺とは直接に関係しないものが多いが、講のなかに代参講というのがあり、有名な社寺へ講員のなかの代表者が参詣(さんけい)に出かけることになっている。くじ引きで代表者を決め、帰宅すると御札(おふだ)を講員に土産(みやげ)として配る。講は町村によってさまざまであり、また講によって盛衰がみられる。
次に町村における家の神祭りについて記しておきたい。長野県では本家・分家の一マキ(同族集団)で祝(いわ)い殿(でん)を設けて、同族神を祀っている所がある。祝い殿は、先祖を祀っている例と、著名な神仏を勧請(かんじょう)したものとがある。この一マキを地類とも称しており、小さいのは2、3軒でなっている。村里に暮らしている家では、地神(じがみ)を屋敷内に祀っている例が多い。ただ地神は土地の神なので、その家が何かの理由で他へ移転するときは、地神の小祠(しょうし)はそのまま置いておく。家が他へ移ったあとに、地神の小祠だけが取り残されて残っているのをよくみかけることがある。また屋敷神信仰もある。これはだいたい屋敷の一隅に祀られている。その祭神は山の神や、神明(大神宮)、祇園(ぎおん)、八幡(はちまん)、山王(さんのう)の諸社の神などきわめて多様である。和歌山県熊野で地主様といって杉などの大木を祀っている例があり、地神信仰の古様を伝えているのかもしれない。
以上の例は農山村を中心として述べたが、漁村においてはすこし違っている。えびす神信仰のことはいうまでもないが、海上では船霊(ふなだま)様を祀っている。船霊様が「シゲル」といって、天候が急変するとき知らせてくれるという。船霊様は帆柱を立てるところの下に納める。御神体として男女の人形(ひとがた)、さいころ、銭、五穀などが用いられる。漁網には、その張り口に網霊(おおだま)様というのを取り付ける例がある。漁業は農業と違って一網ごとが勝負であるので、不漁のときは特殊な慣習がある。千葉県安房(あわ)地方では、漁がないと「シオマツリ」といってお宮へお籠(こも)りした。また神主(かんぬし)や巫女(みこ)を頼んで大漁祈願をする所もあった。また不漁の場合、船を「タデル」(船を州にあげ、船底を焼く)ことがある。このときは船には乗らず線香と御神酒(おみき)をあげる。これを「マン(運(うん))ナオシ」とよんでいる。日本人の神祭りについてだいじなことは清浄の観念で、これにはかならず海の物を用いて神を祀ることである。漁村でなくてもかならず神事には塩と海藻を用いることになっている。
商家では、えびす・大黒を祀るのが普通であるが、とくに交易の問題は農漁村とも関係するだいじな問題である。市(いち)の守護神である市神(いちがみ)は、蛭子(ひるこ)神、宗像(むなかた)大神、市杵島(いちきしま)姫、事代主(ことしろぬし)神、大国主命(おおくにぬしのみこと)など多様である。もともと自然石を神体としたものが多く、路傍によくみかける。市の起点や中心に、また村の境や市組の境などにも建てられた。
以上、民間信仰の諸相を概見したが、道の神、境の神として石像の建てられている道祖神は、ある意味において民間信仰の代表物と称しても過言ではないと思う。時代の変遷の激しい現代においては、前述のような民間信仰も急速に変転していくかもしれない。が、その根底にある超自然的な存在とか、事物に霊性を認める信仰心は、現世利益(げんぜりやく)を志向しつつ、変動しながらも存続していくと思われる。
[大藤時彦]
『桜井徳太郎著『日本民間信仰論』増訂版(1970・弘文堂)』▽『桜井徳太郎編『民間信仰辞典』(1980・東京堂出版)』
教義とか教団組織をもたないで地域共同体に機能する庶民信仰。民俗宗教,民間宗教,民衆宗教また伝承的信仰ともいわれる。日本民族の基層信仰を形成するので民族信仰,民族宗教とも接近するが,それを神道と称することが多いので両者を区別したほうが誤解を生じない。
個人の自覚的入信にもとづく創唱的成立宗教は,教義を始唱した教祖,その人格に共鳴する信者と,それによって組織された教団,さらに布教のために行う宗教儀礼,その儀礼を執行する場となる殿堂などが定立されて,体系的によく整備されている。これに対し民間信仰にはそういう体系化はほとんど見受けられない。個人の信仰よりは,強く共同体の生活に規制されるので,その地域性によって特徴づけられるところが多い。歴史の表面へあらわれてハレの舞台ではたらくことは少なく,つねに基層に沈潜して伝承されるので人の目に触れる機会はまれとなる。けれども変革期や危機的状況が出現すると,顕在化して変動のエネルギー源となる。また民間信仰が生命力を保持するところでは,そこから新宗教が創唱される例も多いので,創唱的成立宗教が生まれる土壌となり地下水の役割を果たしている。民間信仰はまた外来の異宗教を受容する受皿の役割を担っている。外来宗教が異地域で摂取されるためには当然在来の民族的地盤に着岸し,そこで土着化されなくてはならない。その際民族宗教が排他的であるか包容的であるかによって民間信仰の性格に変化がおこる。日本の場合はきわめて寛容性を発揮したために,外来宗教(仏教など)の土着化が成功し,民間信仰もまた大きく膨らんで活力を培養した。神仏習合によって日本の民間信仰は多彩となり,国民の宗教生活にも活気を与えたのである。このようにして民間信仰は,そのなかに内外諸宗教の諸要素を多元的に包括しながら地域社会の底辺部に沈殿し,時の流れに従って徐々に変動をとげつつ,基層的地盤を形成して国民信仰の中核となった。だから外来宗教伝来以前に先在した自然的原始的諸信仰がのこり,山,木,水,岩などを崇敬の対象としたり,雨,風,雷,太陽,月辰などの天然現象に霊威を感じたり,宇宙に存在する事物の根底に霊性の機能をみとめる精霊信仰が根強くはたらき,それらが人間生活を大きく左右するとみる。これら諸要素が複合して重層的構造体をつくり上げている。
執筆者:桜井 徳太郎
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