水上勉(読み)ミズカミツトム

デジタル大辞泉 「水上勉」の意味・読み・例文・類語

みずかみ‐つとむ〔みづかみ‐〕【水上勉】

[1919~2004]小説家。福井の生まれ。幅広い題材と、弱者に向けられた温かいまなざしで数多くの作品を執筆し、昭和を代表する人気作家となった。人物評伝でも実力を発揮し、映像化された作品も多い。「がんの寺」で直木賞受賞。他に「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」「一休」など。芸術院会員。平成10年(1998)文化功労者

みなかみ‐つとむ【水上勉】

みずかみつとむ(水上勉)

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精選版 日本国語大辞典 「水上勉」の意味・読み・例文・類語

みずかみ‐つとむ【水上勉】

  1. 小説家。福井県出身。幼児期貧困僧院での体験をもとに、弱者としての庶民立場に立つ耽美的な文学世界を展開。宇野浩二に師事。「雁の寺」で直木賞を受賞。著に「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」「越前竹人形」「良寛」など。大正八~平成一六年(一九一九‐二〇〇四

みなかみ‐つとむ【水上勉】

  1. みずかみつとむ(水上勉)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「水上勉」の意味・わかりやすい解説

水上勉(みずかみつとむ)
みずかみつとむ
(1919―2004)

小説家。大正8年3月8日福井県生まれ。小学校5年のとき、臨済宗寺院での徒弟生活に入る。中学(旧制)卒業を機に修行を放棄したが、この寺院生活の体験は骨肉化され、のちの文学にさまざまな形でかかわっていく。1937年(昭和12)立命館大学国文科夜間課程に入りまもなく中退。20歳のころから文学に手をそめるが、作家としての地歩を固めたのは1959年(昭和34)の『霧と影』によってであるから、寺を離れてから20余年もの歳月が流れている。途中には、私小説『フライパンの歌』(1948)がベストセラーとなるということもあったが、そのできばえには失望、かえって文学から離れた。20年余の時間に経た職業は、配達、小学校助教、行商、編集など30にも及ぶといわれる。復活作となった『霧と影』は、実際にあった繊維業界の取込み詐欺(さぎ)事件に材をとった社会派推理小説。続いて、水俣(みなまた)病を扱った『海の牙(きば)』(1960)、かつての寺院体験に基づく『雁(がん)の寺』(1961)を発表。直木賞を受けた後者は、主人公の悲惨な生育、その母性思慕とエロス、僧侶(そうりょ)の実生活の腐敗などが、推理小説仕立てのなかに織り込まれている。青函(せいかん)連絡船の海難事故に材を得た『飢餓(きが)海峡』(1962)は、台風の混乱のなかで強盗殺人を犯し、のちに名を変えて社会的立場を得た男と、事件直後に触れ合った女の生を通して、貧困という罪と、人間のなかの真実の心に目を当てている。『越後(えちご)つついし親不知(おやしらず)』『五番町夕霧楼』(ともに1962)、『越前竹人形』(1963)など、北陸、京都を舞台に、宿命に翻弄(ほんろう)される女と、劣等感にとらわれた男のあやなす物語も次々と生んだ。水上は第二次世界大戦後まもなくのころから宇野浩二(こうじ)を師と仰いだが、『宇野浩二伝』上下(1971。菊池寛賞)は、その師の文学と生きざまを描いた力作評伝である。その伝記的手法は、水上の仏教へのあくなき関心とかみあって『一休』(1975。谷崎潤一郎賞)、『良寛』(1984。毎日出版芸術賞)、『才市』(1989)などの佳作を次々と生んだ。また、金閣寺放火事件に材をとり、犯人の生い立ち、環境、家族関係などを、精密な調査を軸に、慈愛の目で追ったドキュメントタッチの小説『金閣炎上』を1979年に完成させた。『寺泊(てらどまり)』(1976。川端康成文学賞)などに示されるように短編の名手でもあった。総じて水上の文学は、虐げられた者、宿命にあやつられる者への共感がもとをなし、それが救いの文学とでもいうものに昇華している。日本芸術院会員。1998年(平成10)文化功労者。平成16年9月8日没。

[高橋広満]

『『水上勉全集』全26巻(1976~1978・中央公論社)』『『新編水上勉全集』第1~16巻(1995~1997・中央公論社)』『『故郷』(1997・集英社)』『『仰臥と青空――「老・病・死を超えて」』(2000・河出書房新社)』『『虚竹の笛――尺八私考』(2001・集英社)』『『フライパンの歌』(角川文庫)』『『霧と影』『雁の寺』『飢餓海峡』『越後つついし親不知』『五番町夕霧楼』『寺泊・わが風車』『金閣炎上』(新潮文庫)』『『越前竹人形』『宇野浩二伝』『一休』『良寛』『沢庵』(中公文庫)』『『父と子』(朝日文庫)』『『精進百撰』(岩波現代文庫)』『『竹紙を漉く』(文春文庫)』『村上義雄著『浮遊人間 水上勉――女性の視線が描くモザイク絵』(1997・朝日ソノラマ)』『水上勉著、佐高信監修『海の牙――戦後ニッポンを読む』(1997・読売新聞社)』『水上勉著、国松昭編・解説『人間図書館 水上勉――冬日の道/わが六道の闇夜』(1998・日本図書センター)』『藤本明男著『回り道の人生――水上勉さんと私』(2001・清流出版)』


水上勉(みなかみつとむ)
みなかみつとむ

水上勉

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「水上勉」の意味・わかりやすい解説

水上勉
みずかみつとむ

[生]1919.3.8. 福井,本郷
[没]2004.9.8. 長野,東御
小説家。少年時代徒弟に出された京都の寺を脱走,店員,行商人,集金人などを転々としながら立命館大学国文科に学ぶが中退。のち宇野浩二に師事する。『フライパンの歌』 (1948) で注目されたが,生活に追われ約 10年の空白をおいたのち『霧と影』 (1959) で文壇に復帰,『海の牙』 (1960) によって推理小説の新人として登場。その後『雁の寺』 (1961) で直木賞を受け,『越後つついし親不知』 (1962) ,『五番町夕霧楼』 (1962) ,『越前竹人形』 (1963) ,『飢餓海峡』 (1963) ,『宇野浩二伝』 (1971) ,『一休』 (1975) ,『寺泊』 (1977) ,『良寛』 (1984) などを発表。 1986年日本芸術院会員。 1998年文化功労者。

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百科事典マイペディア 「水上勉」の意味・わかりやすい解説

水上勉【みずかみつとむ】

小説家。福井県生れ。幼時臨済宗相国寺の塔頭(たっちゅう)で徒弟となる。立命館大学国文科中退。宇野浩二に師事し,1948年《フライパンの歌》を刊行したのち,一時文学から離れたが,《霧と影》(1959年)で再起。《海の牙》(1960年)で探偵作家クラブ賞受賞,社会派推理小説作家として評価された。《雁(がん)の寺》(1961年)で直木賞。母性思慕をモティーフとして《五番町夕霧楼》《越前竹人形》へ続く。他に《宇野浩二伝》《一休》《寺泊(てらどまり)》《金閣炎上》《良寛》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水上勉」の解説

水上勉 みずかみ-つとむ

1919-2004 昭和後期-平成時代の小説家。
大正8年3月8日生まれ。8歳から寺にあずけられる。のち還俗(げんぞく)し,多様な職業につく。宇野浩二に師事。昭和36年「雁(がん)の寺」で直木賞。社会派推理小説の「飢餓海峡」,女性の宿命をえがいた「越前竹人形」などで流行作家となる。46年「宇野浩二伝」で菊池寛賞,59年「良寛」で毎日芸術賞をうけるなど,受賞多数。平成10年文化功労者。芸術院会員。平成16年9月8日死去。85歳。福井県出身。立命館大中退。

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367日誕生日大事典 「水上勉」の解説

水上 勉 (みずかみ つとむ)

生年月日:1919年3月8日
昭和時代;平成時代の小説家
2004年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の水上勉の言及

【推理小説】より

…第1は,従来確固として存在していた〈純文学〉と〈推理小説〉の間の境界線が消えたことである。純文学作家が次々に推理小説に筆を染め,松本清張や水上勉のように爆発的人気を呼び,推理小説でデビューした作家が一般の文学賞を取ることも珍しくなくなった。第2は,女性の目ざましい進出である。…

※「水上勉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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