水原茂(読み)ミズハラシゲル

デジタル大辞泉 「水原茂」の意味・読み・例文・類語

みずはら‐しげる〔みづはら‐〕【水原茂】

[1909~1982]プロ野球選手監督香川の生まれ。高松商業、慶大投手兼三塁手として活躍し、昭和11年(1936)巨人軍入団。終戦後4年間のシベリア抑留生活を経て、昭和25年(1950)から巨人軍の監督となり、翌年から3年連続日本一。のち東映北海道日本ハム前身)・中日の監督を歴任

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「水原茂」の意味・わかりやすい解説

水原茂
みずはらしげる
(1909―1982)

プロ野球選手(内野手:右投右打)、監督。1月19日、香川県高松市生まれ。高松商時代は投手で、慶応義塾大学進学後は投手兼三塁手として六大学リーグのスターとなった。グラウンドに投げ入れられたリンゴスタンドに投げ返したという早慶戦のリンゴ事件の張本人として話題をさらった。1934年(昭和9)全日本に参加し、引き続き東京巨人(現、読売ジャイアンツ)に入団。1942年には最高殊勲選手(現、最優秀選手)に輝いたが、翌1943年に兵役につき、終戦後4年間のシベリア抑留生活を経て、1950年に読売ジャイアンツ(巨人)監督に就任、8回リーグ優勝に導いた。1961年東映フライヤーズ(現、北海道日本ハムファイターズ)に移り、翌1962年に東映を優勝させた。その後評論家として活躍し、1969年から1971年まで中日ドラゴンズの監督を務めて引退した。アメリカ仕込みのブロック・サインを駆使して、大胆かつ緻密(ちみつ)な試合をすることで定評があり、名監督といわれた。通算監督勝利1586は歴代4位(2015年時点)。

[神田順治・森岡 浩]

 実働8年間の選手としての通算成績は、出場試合523、安打476、打率2割4分3厘、本塁打12、打点184。獲得したタイトルは、最高殊勲選手(現、最優秀選手)1回、ベストナイン1回。監督としての通算成績(21年)は、2782試合、1586勝1123敗73分け、勝率5割8分5厘、リーグ優勝9回、日本シリーズ優勝5回。1977年(昭和52)に野球殿堂野球殿堂博物館)入り。

[編集部・森岡 浩 2016年9月16日]

『水原茂著『私の歩んだ野球生活』(1962・全国書房)』『水原茂著『わが野球人生』(1978・恒文社)』

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20世紀日本人名事典 「水原茂」の解説

水原 茂
ミズハラ シゲル

昭和期のプロ野球選手,プロ野球監督



生年
明治42(1909)年1月19日

没年
昭和57(1982)年3月26日

出生地
香川県高松市

学歴〔年〕
慶応義塾大学政治学科〔昭和9年〕卒

主な受賞名〔年〕
朝日スポーツ賞〔昭和28年〕

経歴
旧制高松商業時代に全国中等野球で優勝投手となり、慶大時代は早慶戦でのリンゴ事件で話題をまく。昭和11年プロ野球発足と同時に巨人に入団し、応召、復員ののち24年暮れ、中学時代からライバルの三原脩に代わって巨人監督に就任。35年に退団するまでの11年間に8回ものリーグ優勝を達成して戦後最初の巨人軍黄金時代をもたらし、新人の長島と王を発掘してON時代の基礎を築いた。その後は東映と中日で10年余監督を務め、51年殿堂入り。実働8年、523試合、1960打数476安打、12本塁打、184打点、打率.243。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「水原茂」の意味・わかりやすい解説

水原茂
みずはらしげる

[生]1909.1.19. 香川,高松
[没]1982.3.26. 東京
プロ野球選手,監督。高松商業から慶應義塾大学に進む。 1933年秋の早慶戦で,早稲田応援席から投げ込まれた食べかけのリンゴをスタンドに投げ返すという「リンゴ事件」を引き起こした。 1936年読売ジャイアンツ (巨人) の前身,東京巨人軍に入団,名三塁手として鳴らし,1942年に最高殊勲選手に選ばれたが,すでに応召していたため妻子が代理で表彰を受けた。シベリア抑留を経て 1949年に帰国し,1950年に巨人の監督に就任。のちの東映フライヤーズ,中日ドラゴンズと,21年間の監督生活で,リーグ優勝9回 (巨人8回,東映1回) ,日本シリーズ優勝5回の成績を残す。同県人で早稲田大学出身,巨人から西鉄ライオンズに去ったライバル三原脩との日本シリーズは巌流島の決闘と称された。ブロックサイン,ワンポイントリリーフなど,大リーグからいち早く新戦法を取り入れた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水原茂」の解説

水原茂 みずはら-しげる

1909-1982 昭和時代のプロ野球選手,監督。
明治42年1月19日生まれ。高松商業,慶大で投手兼三塁手として活躍し,早慶戦での「リンゴ事件」が有名。昭和11年巨人軍に入団。戦後シベリアから復員,巨人・東映・中日の監督を歴任して優勝9回,日本シリーズを5回制覇した。52年野球殿堂入り。昭和57年3月26日死去。73歳。香川県出身。

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367日誕生日大事典 「水原茂」の解説

水原 茂 (みずはら しげる)

生年月日:1909年1月19日
昭和時代のプロ野球選手;監督
1982年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の水原茂の言及

【野球】より

…51年にはオールスター・ゲームも開始された。51‐53年は水原茂監督ひきいる巨人軍が川上,青田昇,千葉茂,別所毅彦,大友工,藤本英雄らを擁して日本一の座につき,56‐58年は三原脩監督ひきいる西鉄ライオンズが,エースの稲尾和久をはじめ中西太,大下などを打撃陣にそろえて3連覇を果たした。59年の巨人対阪神のいわゆる〈天覧試合〉では巨人のルーキー王貞治が本塁打を打ち,入団2年目の長島茂雄の打球はさよなら本塁打となってファンをわかせた。…

※「水原茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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