改訂新版 世界大百科事典 「水戸佐倉道」の意味・わかりやすい解説
水戸・佐倉道 (みとさくらどう)
江戸時代の街道。日光道中の千住宿で分岐し,さらに新宿(にいじゆく)で水戸道と佐倉道に分かれる。日光道中に付属し,水戸道は松戸宿,佐倉道は八幡宿まで道中奉行支配。水戸道は金町・松戸関,藤代,土浦などを経て水戸に至る。コースは慶長末年に画定し,組織も参勤交代制と平行して確立したと考えられている。街道は草原が多かったため,徳川光圀が貞享年中(1684-88)に数ヵ所に並木を設け旅行の便を図っている。水戸藩など諸大名の参勤交代路として利用されたほか,小金牧における将軍の鹿狩路としても利用された。佐倉道は小岩・市川関,船橋,大和田,臼井を経て佐倉に至る街道で,佐倉藩などの参勤交代,佐倉牧への往来に利用された。街道の延長に成田山新勝寺があったことから,参詣路として発達し,近世後期には一般に成田道と呼ばれた。江戸・船橋間は行徳舟や本所竪川通りを利用することが多かった。
執筆者:山本 光正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報