朝日日本歴史人物事典 「水野忠友」の解説
水野忠友
生年:享保16(1731)
江戸中期の老中。豊後守,出羽守を称す。父は忠穀(7000石の旗本)。9歳のとき徳川竹千代(のちの家治)の御伽となり,以来家治付の小姓,小姓頭取,小姓組番頭格御用取次見習,御側御用取次を経て,明和5(1768)年勝手掛若年寄奥兼帯に進む(加封され大名に列す)。田沼意次の4男忠徳を養子とし,安永6(1777)年側用人となり加封され駿河沼津城主となる。天明1(1781)年勝手掛老中格,5年勝手掛老中奥兼帯となる(数度の加増で3万石)。田沼派のため松平定信の登場で8年老中を辞任したが,定信退陣後,寛政8(1796)年若君(のちの徳川家慶)付老中に復帰し,在任中没す。
(山田忠雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報