永続革命論(読み)エイゾクカクメイロン(英語表記)theory of permanent revolution

デジタル大辞泉 「永続革命論」の意味・読み・例文・類語

えいぞくかくめい‐ろん【永続革命論】

スターリン一国社会主義論に対するトロツキー革命理論社会主義革命の最終的な勝利は一国内だけでは不可能で、続いて起こる各国での革命の成功世界革命に至って初めて可能になるとする。永久革命論

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「永続革命論」の意味・わかりやすい解説

永続革命論
えいぞくかくめいろん
theory of permanent revolution

世界革命と一国革命の関係をめぐってのマルクス主義の用語。永久革命論ともよばれる。もともとは、マルクス、エンゲルス執筆の1850年3月の「共産主義者同盟員への呼びかけ」に含まれている、ブルジョア民主主義革命(1848年革命)における小ブルジョア的妥協を排した労働者階級の革命継続の主張、すなわち「われわれの利益とわれわれの任務は、多少とも財産を所有するすべての階級が支配的地位から追いのけられ、プロレタリアート国家権力を掌握し、一国だけでなく全世界のすべての主要国のプロレタリア結合が著しく進んで、その結果、これらの国々でプロレタリア同士の競争がやみ、少なくとも決定的な生産力がプロレタリアの手に集中されるまで、革命を永続させることである」に由来する。レーニンはこれを、ブルジョア民主主義革命におけるプロレタリアートのヘゲモニーと社会主義革命への成長転化の理論としてロシア革命の指導に採用したが(二段階連続革命論)、トロツキーはこれを、「ヨーロッパ・プロレタリアートの直接の政治的援助なしには、ロシアの労働者階級はその権力を保持しその一時的覇権を永続的な社会主義的独裁に転化させることはできない」とする主張として、スターリンの「一国社会主義」論に対置した。そのため永続革命論は、しばしばトロツキズムの用語として扱われた。

 トロツキーの永続革命論は、農民の役割の過小評価や一国社会主義建設可能性の否定として批判されたが、一国の革命を世界革命の一環として位置づけ、社会主義革命を、共産党による単独政権確保や中央集権的国有化・計画経済樹立ではなく、「家族関係・道徳および習慣の革命」にまで深化する過程として把握する立場を含んでいた。日本の丸山真男(まさお)は、マルクス主義への批判の意味を込めて、「民主主義の永久革命」を唱えた。

[加藤哲郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永続革命論」の意味・わかりやすい解説

永続革命論
えいぞくかくめいろん

ロシアの 1905年の革命のあとでトロツキーによって提唱された世界革命に関する理論。彼は西欧諸国の社会主義革命の成立とそれによる援助によってのみロシア革命は成功すると主張し,ロシア革命がプロレタリア社会主義へと進展する過程で,ロシアの工業的後進性が社会主義建設の障害になること,また社会主義的農業政策が圧倒的な人口比率を占める農民の反抗を惹起することを予測した。このためロシアのような後進国では1国だけで革命を成功させることはできず,ロシア革命は西欧革命へと国境を越えて「永続的」に発展せざるをえないと分析した。この永続革命論は,スターリン一国社会主義論と対立したが,スターリンの勝利によってソ連から姿を消した。しかし第2次世界大戦後,中国革命の過程において息を吹返したといわれている。

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世界大百科事典(旧版)内の永続革命論の言及

【永久革命論】より

…〈永久革命〉という言葉自体はマルクスの1850年3月の共産主義者同盟へのよびかけに由来するが,一般には1905‐06年に定式化されたトロツキーの革命論を永久革命論または永続革命論という。英語ではpermanent revolution。…

※「永続革命論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」