汚い戦争
きたないせんそう
Guerra Sucia
1976~83年の軍事政権下のアルゼンチンで,軍部や警察などが引き起こした大規模な弾圧事件。1976年3月,軍事クーデターでビデラ政権が成立して以降,左翼によるテロを鎮圧するという名目で弾圧が行なわれた。逮捕され,拷問などにより殺害されたとみられる行方不明者(デサパレシードス)の数は 1万~3万人ともいわれている。左右両派に対する批判者であった平和運動家アドルフォ・ペレス・エスキベルは,1977年に逮捕され拷問を受けたが,1980年にノーベル平和賞を受賞した。ホルヘ・ラファエル・ビデラののち,ロベルト・ビオラとレオポルド・ガルティエリが軍事政権を引き継ぎ,1982年ガルティエリの後任となったレイナルド・ビニョーネが選挙の実施を公約,翌 1983年に急進市民連盟のラウル・アルフォンシンが大統領となった。この民政移管後,数百人に及ぶ軍関係者の責任が問われ,1985年,ビデラ,ビオラらに有罪判決(ビデラには終身刑)がくだされた。1989~90年,カルロス・サウル・メネム大統領が関係者すべてに恩赦を与えたが,その後あらためて真相究明の動きが起こり,1998年ビデラは自宅軟禁におかれ,2007年に恩赦が取り消され終身刑が確定した。2002年にはガルティエリが自宅軟禁の処分を受けた。2012年には,ビデラとビニョーネに政治犯の乳児誘拐罪で長期の禁錮刑が言い渡された。(→アルゼンチン史)
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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