江井浦(読み)えいうら

日本歴史地名大系 「江井浦」の解説

江井浦
えいうら

[現在地名]一宮町江井

桃川ももがわ村の北、海に面する浦。「えぶら」ともよばれた。江井崎東方の広さ二町四方の入湊を囲む、かぎ(旧名波戸の町)西にしの町・中の町・神見しがらみ町・東の町などからなる。天正六年(一五七八)から同八年の三木合戦ののち、別所長治の旧臣高村伝左衛門が弟および郎等二人を連れて当浦に来た。高村氏は灰の売買で財をなして灰屋と称され、天正一三、四年頃から当地庄官となったと伝える(味地草)。天正一三年の家数はわずか一七軒であったとされる(文化七年「棟附人数改帳」浜岡氏所蔵文書)正保国絵図には桃川のうちとして江井浦がみえ、天保郷帳・旧高旧領取調帳などでは桃川村に含まれる。反別戸数取調書に浦名がみえ無高。慶安二年(一六四九)には家数五九・男子人数九三、船三二艘(六端帆三・五枚帆五・四枚帆一・三枚帆一・二枚帆二二)(「棟附人数改帳」江井郷土誌)、元禄六年(一六九三)には家数二七一(同書)、文化七年(一八一〇)の棟附人数改帳では家数四一八(うち船乗り四一〇)・人数一千五四三、船数一三〇となっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報