江守 清樹郎(読み)エモリ セイジュロウ

20世紀日本人名事典 「江守 清樹郎」の解説

江守 清樹郎
エモリ セイジュロウ

昭和期の映画プロデューサー にっかつ相談役。



生年
明治33(1900)年11月25日

没年
昭和58(1983)年12月21日

出生地
福井県

学歴〔年〕
明治大学法学部〔昭和2年〕卒

経歴
昭和4年日活に入社。途中帝国蓄音機取締役、満州演芸協会常務などを経て、戦後20年日活取締役に復帰、22年常務。28年撮影所を再建、製作担当重役として活躍。石原裕次郎、浅丘ルリ子らのスターを育成、また今村昌平、浦山桐郎ら若い監督起用、日活の黄金時代を築いた。42年退陣、49年顧問に復帰した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江守 清樹郎」の解説

江守清樹郎 えもり-せいじゅろう

1900-1983 昭和時代の映画製作者。
明治33年11月25日生まれ。昭和4年日活入社。28年製作担当重役。石原裕次郎,浅丘ルリ子らをそだて,今村昌平,浦山桐郎らを監督に起用した。昭和58年12月21日死去。83歳。福井県出身。明大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の江守 清樹郎の言及

【日本映画】より

…初期の東映では,この大川博のもとで,戦前から戦中にかけて日活,満映で活躍してきたマキノ満男(光雄)がプロデューサーとしての腕をふるった。 戦後のプロデューサーとしては,ほかに,日活のアクション映画路線を主導した江守清樹郎,新東宝の危機を《明治天皇と日露大戦争》(1957)のヒットで救い,のちにいわゆるエロ・グロ路線を推進した大蔵貢らがいる。
【5社体制の量産時代】
 1954年には日本映画界を揺るがす大事態が二つ起こった。…

※「江守 清樹郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」