江里口 清雄(読み)エリグチ キヨオ

20世紀日本人名事典 「江里口 清雄」の解説

江里口 清雄
エリグチ キヨオ

昭和期の司法官僚 元・最高裁判事。



生年
明治43(1910)年3月20日

没年
昭和58(1983)年2月16日

出生地
福岡県

出身地
佐賀県佐賀市

学歴〔年〕
東京帝大法学部法律学科〔昭和9年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和55年〕

経歴
東京地裁部総括判事、最高裁刑事局長、東京高裁部総括判事、福岡高裁長官などを歴任後、昭和48年1月から55年3月まで最高裁判事を務めた。東京地裁時代の25年7月、“帝銀事件”の裁判長として、平沢貞通に死刑を言い渡した。また、最高裁時代には、“猿払事件”(49年)、“衆議院議員定数訴訟”(51年)、“旭川学テ事件”(51年)、“名古屋中郵事件”(52年)などの各大法廷判決に関与した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江里口 清雄」の解説

江里口清雄 えりぐち-きよお

1910-1983 昭和時代裁判官
明治43年3月20日生まれ。昭和25年東京地裁で帝銀事件の裁判長をつとめ,平沢貞通に死刑判決をくだす。のち最高裁刑事局長,福岡高裁長官などをへて,48年最高裁判事。51年の衆議院議員定数訴訟,52年の津地鎮祭訴訟などの判決にかかわった。昭和58年2月16日死去。72歳。福岡県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例