池尾村(読み)いけのおむら

日本歴史地名大系 「池尾村」の解説

池尾村
いけのおむら

[現在地名]宇治市池尾いけお北組きたぐみ寒谷さぶだに仙郷山せんごうやま多田ただ西浦にしうら西組にしぐみ・東組・南組〉

醍醐笠取だいごかさとり山地南端、宇治川右岸に接する低丘陵を村域とし、集落の西方には喜撰きせん山がある。東および南方は、傾斜の急な丘陵腹が宇治川に接しているが、集落は南北に長い谷奥の傾斜の緩やかな小盆地にあり、周囲の緩斜面には「正喜撰」の名で知られた池尾茶園が展開する。

集落から東への急坂八丁はつちよう坂とよび、宇治川河畔への短絡路となっている。かつては宇治川山間部唯一の渡河点曾束そつかの渡に通じ、湖南地方への交通路とされていた。曾束の渡も大正一三年(一九二四)の宇治川旧大峰ダム完成によって廃され、現在は曾束大橋がそれに代わる。

池尾は、「今昔物語集」巻二八に「池尾禅珎内供鼻語」としてみえ、同書中に「池ノ尾ノ堂塔・僧坊」とあるが、当地に該当する寺跡はない。

池尾村
いけおむら

[現在地名]春日町池尾

西端を竹田たけだ川が流れ北は小富士こふじ山、東は小多利こたり村、西は同川を隔てて与戸よと村字坂折さこり(現市島町)。もと小多利村の一部で文政元年(一八一八)分村という(明照寺文書)。同年の高五三石余・家数三〇(氷上郡志)。産土神は梶原かじわら(現市島町)かも神社。享保一七年(一七三二)村内に同社の遥拝所が設けられたが一時荒廃、明治六年(一八七三)改築、鴨神社遥拝所と名付けられ現在に至る(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android