20世紀日本人名事典 「池田忠雄」の解説
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
…【小川 信】
【近世】
1581年(天正9)織田信長の部将仙石秀久が入部,85年豊臣秀吉の四国平定後脇坂安治が3万3000石の洲本城主として,その伊予大洲移封後には,1610年(慶長15)池田輝政の三男忠雄が6万3000石領主として居城を紀淡海峡にのぞむ由良にかまえた。15年(元和1)池田忠雄が本家岡山藩主として転出,淡路は収公後,あらためて6万3000石余が徳島藩主蜂須賀至鎮(よししげ)に加封された。その後18年岩屋周辺1万7000石が加増され,以後淡路全島は蜂須賀氏の領するところとなった。…
…江戸時代の著名な敵討の一つ。備前岡山藩主池田忠雄の家臣に渡辺数馬という者があり,1630年(寛永7)7月その弟源太夫が同藩士河合又五郎に殺された。数馬は又五郎の父半左衛門に引渡しを求めたが応ぜず,又五郎を江戸に逃がし,旗本安藤治右衛門,久世三四郎らがこれをかくまった。…
…(1)南北朝・室町・戦国期の摂津の国人。橘諸兄の後裔とする伝承があるが不詳。1363年(正平18∥貞治2)の幕府文書に摂津守護赤松光範の被官として池田親政とあるのが初見。南北朝中期,守護より加茂庄(現,兵庫県川西市)の半済地をあてがわれ,また垂水西牧小曾禰村(現,豊中市)の番頭にも名がみえる。室町期には守護細川氏の有力被官となり,伊丹,吹田両氏と並ぶ摂津屈指の土豪に成長した。加茂,垂水のほか,細川庄,桜井郷など各荘園の代官を兼ね,給分を資本に高利貸も行って,応仁の乱ころは年収1万2000貫,〈富貴無双〉とうたわれた。…
…旧国名。播州。現在の兵庫県西南部。
【古代】
山陽道に属する大国(《延喜式》)で,その東端に位置した。明石,賀古,印南(いなみ),飾磨(しかま),揖保(いいぼ),赤穂,佐用,宍粟(しさわ),神崎,多可,賀茂,美囊(みなき)の12郡よりなる。国司四等官のうち大国にのみ置かれる大目(だいさかん)が712年(和銅5)に播磨国にいるので(《続日本紀》),8世紀初めより大国であったことがわかる。国府は《和名抄》によれば飾磨郡にあり,所在地はいまの姫路市で,姫路城の東または南東部と推定される。…
※「池田忠雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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