河上 肇
カワカミ ハジメ
- 肩書
- 日本共産党員,京都帝国大学教授
- 別名
- 号=梅陰 千山万水楼主人 閉戸閑人
- 生年月日
- 明治12年10月20日
- 出生地
- 山口県玖珂郡岩国町(現・岩国市)
- 学歴
- 東京帝大法科大学政治学科〔明治35年〕卒
- 学位
- 法学博士
- 経歴
- 明治35年東京帝大講師となり農政学を講じる。38年「社会主義評論」を千山万水楼主人の筆名で「読売新聞」に連載。40年「日本経済新誌」を創刊。41年京都帝大講師となり経済史を担当、42年助教授を経て、大正2年ヨーロッパ留学後、4年教授となり、8年から経済原論を担当。この間、5年から大阪朝日新聞に「貧乏物語」を連載し注目を集める。その後急速にマルクス主義の立場に接近し、マルクスの「賃金と資本」を翻訳し、「唯物史観略解」を刊行。昭和3年辞職。翌年大山郁夫らの新労農党に協力したが、やがて解散を提唱。6年マルクス「政治経済学批判」「資本論」(第1巻)を刊行。7年5月地下運動に入り、「七年テーゼ」を翻訳、9月日本共産党員に入党。8年検挙され、懲役5年の判決。12年出獄後は閉戸閑人と称し、漢詩、短歌、書、篆刻などに親しんだ。18年より「自叙伝」を執筆。20年から体の衰弱がひどくなり、敗戦を病床で迎える。同年共産党に復党。著書に「経済学大綱」「第二貧乏物語」「資本論入門」「マルクス主義経済学」「自叙伝」(全5巻)のほか、詩歌集「雑草集」「旅人」「河上肇詩集」、「河上肇著作集」(全12巻 筑摩書房)、「河上肇全集」(第1期28巻・第2期7巻・別巻1 岩波書店)がある。
- 趣味
- プロ野球 漢詩
- 没年月日
- 昭和21年1月30日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
河上 肇
カワカミ ハジメ
明治〜昭和期の経済学者,思想家,社会評論家,詩人 京都帝国大学教授。
- 生年
- 明治12(1879)年10月20日
- 没年
- 昭和21(1946)年1月30日
- 出生地
- 山口県玖珂郡岩国町(現・岩国市)
- 別名
- 号=梅陰,千山万水楼主人,閉戸閑人
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法科大学政治学科〔明治35年〕卒
- 学位〔年〕
- 法学博士
- 経歴
- 明治35年東京帝大講師となり農政学を講じる。38年「社会主義評論」を千山万水楼主人の筆名で「読売新聞」に連載。40年「日本経済新誌」を創刊。41年京都帝大講師となり経済史を担当、42年助教授を経て、大正2年ヨーロッパ留学後、4年教授となり、8年から経済原論を担当。この間、5年から大阪朝日新聞に「貧乏物語」を連載し注目を集める。その後急速にマルクス主義の立場に接近し、マルクスの「賃金と資本」を翻訳し、「唯物史観略解」を刊行。昭和3年辞職。翌年大山郁夫らの新労農党に協力したが、やがて解散を提唱。6年マルクス「政治経済学批判」「資本論」(第1巻)を刊行。7年5月地下運動に入り、「七年テーゼ」を翻訳、9月日本共産党員に入党。8年検挙され、懲役5年の判決。12年出獄後は閉戸閑人と称し、漢詩、短歌、書、篆刻などに親しんだ。18年より「自叙伝」を執筆。20年から体の衰弱がひどくなり、敗戦を病床で迎える。同年共産党に復党。著書に「経済学大綱」「第二貧乏物語」「資本論入門」「マルクス主義経済学」「自叙伝」(全5巻)のほか、詩歌集「雑草集」「旅人」「河上肇詩集」、「河上肇著作集」(全12巻 筑摩書房)、「河上肇全集」(第1期28巻・第2期7巻・別巻1 岩波書店)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
河上 肇 (かわかみ はじめ)
生年月日:1879年10月20日
明治時代-昭和時代の経済学者;社会主義者。京都帝国大学教授
1946年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報