沼津城跡(読み)ぬまづじようあと

日本歴史地名大系 「沼津城跡」の解説

沼津城跡
ぬまづじようあと

[現在地名]沼津市大手町一―五丁目・西条町・添地町・町方町など

安永六年(一七七七)に沼津に封じられた水野忠友によって沼津町の北西部、三枚橋さんまいばし城跡に新たに築かれた平城。当城を沼津新城、三枚橋城を沼津古城ともよぶ場合もある。

三枚橋城は慶長一九年(一六一四)に破却された。その後、徳川忠長領の時代には城地に御殿が造立されたが、寛永一八年(一六四一)大火で忠長の遺邸を含めて焼亡し(このとき沼津宿も延焼)、城跡は荒蕪地に変じてしまった(「駿河志料」「沼津小誌」など)。天和(一六八一―八四)頃から跡地は外側から開墾されて田畑地となり、町家も建てられたが、中心地域は荒地のままであった。安永六年三河大浜藩主水野忠友は二万石で当地に封じられた。翌七年一月韮山代官江川太郎左衛門から城地を請取り、翌月には東西の藩領境に示が建てられている。築城は当初、松平安芸守の家来吉田雪翁の縄張りで絵図面が作製された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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