日本歴史地名大系 「波加利庄」の解説
波加利庄
はかりのしよう
- 山梨県:大月市
- 波加利庄
現在の大月市西部にあった庄園。波賀利とも書く。建保元年(一二一三)五月二日、鎌倉で起こった和田義盛の乱に荷担して敗れた古郡保忠兄弟は、和田常盛・横山時兼らとともに甲斐へ逃れてきて「波加利之東競石郷二木」で自殺した(「吾妻鏡」同月四日条)。古郡氏は武蔵七党の一つ横山党の分れで、甲斐国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現在の大月市西部にあった庄園。波賀利とも書く。建保元年(一二一三)五月二日、鎌倉で起こった和田義盛の乱に荷担して敗れた古郡保忠兄弟は、和田常盛・横山時兼らとともに甲斐へ逃れてきて「波加利之東競石郷二木」で自殺した(「吾妻鏡」同月四日条)。古郡氏は武蔵七党の一つ横山党の分れで、甲斐国
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