波多野庄(読み)はだののしよう

日本歴史地名大系 「波多野庄」の解説

波多野庄
はだののしよう

市域付近一帯にあった荘園で、有力な武士団波多野氏一族の本領、また名字の地でもある。「和名抄」の余綾よろき幡多はだ(幡多野)郷を中核として荘園化した地と思われる。すでに一一世紀頃、三条天皇の皇女冷泉宮の所領であり、のちに藤原氏摂関家、なかでも近衛家に伝領された。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(県史一)には「波多野」とのみ記されている。

吾妻鏡」文治四年(一一八八)八月二三日条に「波多野本庄」とあり、将軍源頼朝の面前で当庄の支配をめぐる波多野義景岡崎義実との相論の対決が行われた。義景の主張によればこの荘はすでに保延三年(一一三七)以前から波多野遠義の支配下にあり、荘の北方はその子義通、さらに弟の義景にと相伝されていた。しかし義景の在京の間に義実が由緒もなく当庄を競望したとしている。義実は孫子先法師冠者への義景の譲状があると主張した。結果は義実が敗訴を認め、科として一〇〇日間鎌倉鶴岡八幡宮・勝長寿しようちようじゆ院などの宿直を勤仕したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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