津吉島(読み)つよしじま

日本歴史地名大系 「津吉島」の解説

津吉島
つよしじま

中世よりみえる平戸島の地名。宇野うの御厨のうち。元久二年(一二〇五)正月九日の関東下文案(伊万里文書)に「宇野御厨内伊万里浦并津吉島両所」とみえ、源重平は重代相伝の所領である当地の地頭職に補任された。この重平はのち津吉十郎重平と称しており、建保六年(一二一八)平戸の峰披が峰上に、墓埼(現未詳)地頭の宗明との相論を経て披の小舅である重平に預け置いていた伊万里いまり浦などを譲っている(同年八月日「峰披譲状案」同文書)。弘安六年(一二八三)蒙古合戦証人として津吉円性御房が平戸氏・志佐氏・大島氏らとともに起請文の提出を命じられ(同年三月二二日「肥前国守護北条時定書下」山代文書)、嘉元三年(一三〇五)には津吉大輔房栄範が弘安四年の蒙古合戦の勲功の賞として御厨みくりや庄伊万里浦内田地五町と屋敷二宇の領知を認められているが(同年四月六日「蒙古合戦勲功賞配分状」筑後河原文書)、正和二年(一三一三)には伊万里浦の大河内おおかわち(現佐賀県伊万里市)の公事をめぐって伊万里五郎次郎入道(蓮法)を提訴している(同年一一月二八日「鎮西御教書」肥前大河内文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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