津志田町(読み)つしだまち

日本歴史地名大系 「津志田町」の解説

津志田町
つしだまち

[現在地名]都南村津志田

津志田村の中に成立した奥州街道沿いの両側町。もとは津軽町と称されたが、寛文五年(一六六五)に津志田町と改名されたという(増補行程記)。津軽町の名は南部利直治政の頃、津軽の人々が当地に居住したことに由来するとされる(盛岡砂子)。天和二年(一六八二)に切支丹禁制、貞享五年(一六八八)に捨馬禁止の制札が立てられている(「御領分高札集」盛岡市中央公民館蔵)。安永二年(一七七三)にはかつて植えた紅白の桃が老木や枯木になってまばらになったため、再び植付けることとなっている(御家被仰出)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android