津田庄(読み)つだのしよう

日本歴史地名大系 「津田庄」の解説

津田庄
つだのしよう

現在の北津田町・中之庄なかのしよう町・南津田町辺りに比定される延暦寺領庄園。元来は皇室領庄園で、清和天皇の皇子貞頼親王に伝領、同親王は四天王像を延暦寺西塔院に奉納、その仏灯料として当庄の租稲を寄せていたが、延喜一二年(九一二)六月五日、改めてこの「津田庄一処」を同院に施入、以後、延暦寺西塔院領として推移した(「山門堂舎記」「蒲生郡志」など)。津田の入江をもって南・北二つの庄域に分れていた当庄は、平安末期にかけて津田北庄部分から中庄が分立、承保元年(一〇七四)三月二日付の近江国奥島庄司解(長命寺文書)の証判署名に「津田御庄司等」として新庄司僧・中庄司紀・南公文僧・御庄司林の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android