浅利又七郎(読み)あさりまたしちろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅利又七郎」の意味・わかりやすい解説

浅利又七郎
あさりまたしちろう
(1778―1853)

幕末の剣客。名は義信(よしのぶ)。水戸道中松戸宿(千葉県松戸市)近在の農民出身江戸へ出て下谷練塀小路(したやねりべいこうじ)の小野一刀流中西忠太子啓(つぐひろ)(中西派3代)の道場に学び、突きの名手として知られ、若狭(わかさ)(福井県)小浜藩の剣術師範に迎えられた。門人千葉周作(しゅうさく)を養子にしようとしたが、剣術上の意見があわず義絶し、のち師の子啓の孫で4代子正(たねまさ)の次男義明(よしあき)(1822~1894)を養子とした。この義明は明治維新後、静岡藩の徳川家達(いえさと)の撃剣指南役を勤め、また1880年(明治13)春、山岡鉄舟に一刀流無想剣の極意を伝授したことで有名である。

[渡邉一郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅利又七郎」の解説

浅利又七郎 あさり-またしちろう

1778-1853 江戸時代後期の剣術家。
安永7年生まれ。江戸で中西派一刀流の3代中西忠太にまなび,浅利派をたてる。突きをもっとも得意とした。若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩の指南役をつとめる。千葉周作を養子にしようとしてことわられ,忠太の孫義明を養子にした。嘉永(かえい)6年2月20日死去。76歳。下総(しもうさ)松戸(千葉県)出身。名は義信。

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