浅原六朗(読み)アサハラ ロクロウ

20世紀日本人名事典 「浅原六朗」の解説

浅原 六朗
アサハラ ロクロウ

大正・昭和期の小説家 日本大学教授。



生年
明治28(1895)年2月22日

没年
昭和52(1977)年10月22日

出生地
長野県北安曇郡池田町

別名
別名=浅原 鏡村(アサハラ キョウソン)

学歴〔年〕
早稲田大学英文科〔大正8年〕卒

経歴
大正8年から昭和3年まで実業の日本社に勤務し「少女之友」などを編集。自作の童謡てるてる坊主」などのほか、詩も掲載する。大正14年創刊の「不同調」に同人として参加、「ある鳥瞰図」などを発表。昭和4年「近代生活」同人となり、また十三人倶楽部に参加。5年結成の新興芸術派倶楽部では有力な働き手として、モダニズム文学運動をする。5年「女群行進」を刊行し、6年「混血児ジヨオヂ」を発表。7年には久野豊彦との共著「新社会派文学」を刊行した。俳句は戦時中横光利一に奨められて始め、戦後俳句と人間の会の中心になって活躍。代表作に「或る自殺階級者」「H子との交渉」、句集に「紅鱒」「定本浅原六朗句集」、詩集に「春ぞらのとり」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅原六朗」の解説

浅原六朗 あさはら-ろくろう

1895-1977 昭和時代の小説家。
明治28年2月22日生まれ。昭和5年新興芸術派倶楽部(クラブ)の結成に参加し,モダニズム文学の作家として活躍。のち久野(くの)豊彦と新社会派をとなえた。戦後,日大教授。「てるてる坊主」などの童謡を鏡村の名で作詞した。昭和52年10月22日死去。82歳。長野県出身。早大卒。作品に「或る自殺階級者」「混血児ジヨオヂ」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浅原六朗」の解説

浅原 六朗 (あさはら ろくろう)

生年月日:1895年2月22日
昭和時代の小説家。日本大学教授
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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