浜崎真二(読み)ハマザキシンジ

デジタル大辞泉 「浜崎真二」の意味・読み・例文・類語

はまざき‐しんじ【浜崎真二】

[1901~1981]プロ野球選手・監督広島の生まれ。慶大卒業後、都市対抗野球投手として活躍。昭和22年(1947)45歳で阪急(オリックス前身)に入団、選手兼任監督となる。同25年に48歳で登板、プロ野球最高齢出場記録を作った。

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20世紀日本人名事典 「浜崎真二」の解説

浜崎 真二
ハマサキ シンジ

昭和期のプロ野球選手,プロ野球監督



生年
明治34(1901)年12月10日

没年
昭和56(1981)年5月6日

出身地
広島県

学歴〔年〕
慶応義塾大学卒

経歴
慶応義塾大学野球部の黄金時代を築く。卒業後満州倶楽部入団。“小さな大投手”として初期都市対抗のスターとなった。昭和22年阪急に入団、同年途中から監督を兼任。その後、29年高橋、30年トンボ、38年国鉄の各監督を歴任。その野球生活は50年に及び、“球界の彦左”の異名でご意見番的存在だった。53年野球殿堂入り。投手成績は実働3年、30試合登板、5勝5敗、23奪三振、防御率4.03。監督成績は通算10年、1219試合、535勝639敗29分、勝率.456。著書に「球界彦左自伝」「48歳の青春」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浜崎真二」の解説

浜崎真二 はまざき-しんじ

1901-1981 昭和時代のプロ野球選手,監督。
明治34年12月10日生まれ。慶大で左腕投手として活躍。昭和4年満鉄に入社。大連満州倶楽部(クラブ)に属し,都市対抗野球でも活躍。23-28年阪急監督(選手兼任)をつとめる。25年48歳で先発し,プロ野球最高年齢出場記録をつくる。29-30年高橋,38年国鉄の監督。球界のご意見番といわれた。53年野球殿堂入り。昭和56年5月6日死去。79歳。広島県出身。

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