浦伊部村(読み)うらいんべむら

日本歴史地名大系 「浦伊部村」の解説

浦伊部村
うらいんべむら

[現在地名]備前市浦伊部

伊部村の南東に位置し、東は海に面する。ほぼ東西に延びる細長い平地に集落がある。中世には瀬戸内海航路の港として開け、文安二年(一四四五)の「兵庫北関入船納帳」にみえる「伊部」は当地にあたる。同帳によると、壺・マメ大麦・榑を積んだ伊部からの船が兵庫北関へ入津している。永禄一一年(一五六八)六月一日の浦上氏裁許状(来住文書)によれば、浦伊部と北接する片上かたかみとの間に境相論があり、「嶺者限尻無尾、限麓者谷尻」で各々南と北に、「自海南之山」は浦伊部とされた。天正一〇年(一五八二)三月には羽柴秀吉禁制(同文書)を下している。

慶長八年(一六〇三)三月七日の池田輝政奉行人連署奉書写(来住文書)にみえる「下伊部村」は当地と考えられる。同一八年和気郡御勘定帳に村名がみえ、物成八八石余・夫米五石二斗余・加子米四石八斗。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android