浦富村(読み)うらどめむら

日本歴史地名大系 「浦富村」の解説

浦富村
うらどめむら

[現在地名]岩美町浦富

現岩美町域の中央北端に位置する。正保期(一六四四―四八)作成と推定される因幡国絵図(県立博物館蔵)に浦住宿とみえる。元禄郷帳作成時に浦富村と改めたが(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)、浦留とも記し(「在方御定」など)、南の町浦富まちうらどめ村に対して、本浦住村・本浦留もとうらどめ村・浜浦富はまうらどめ村とも通称された(「檀徒寄進帳」金剛院旧蔵など)。天正九年(一五八一)から慶長五年(一六〇〇)まで巨濃この郡を領有した垣屋恒総が南西桐山きりやま城を本拠地として桐山東麓に居館を構えていた。西にある支村の田後たじり村は享保一九年(一七三四)以前に領内限りで一村となっていたと考えられる(同年鈴木孫三郎所持本「因幡誌」など)。藩政期の拝領高は六三〇石余。本免は四ツ九分。山役米一斗を課されており、天保三年(一八三二)山林は二八町三反余(藩史)。鵜殿氏の給地であった(給人所付帳)前掲「因幡誌」によれば高八七〇石、竈数四〇余。文政五年(一八二二)の岩井郡組合帳(勝山家文書)によれば家数九五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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