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浦靱負【うらゆきえ】
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世界大百科事典 第2版の解説-
うらゆきえ【浦靱負】
1795‐1870(寛政7‐明治3)
幕末の長州藩士。名は元襄。重臣国司信濃就孝の子。藩内阿月に知行地を持つ寄組士浦家に入り,家老,加判役などの要職を歴任して隠退したが,1862年(文久2)長州藩の国事斡旋に際し,再登用され,京都,江戸で活躍した。63年,再び致仕して帰国,阿月に退いた。その公私日記62巻は,未刊行だが詳細,正確な維新史料として知られ,典拠として多く利用されている。【井上 勝生】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
浦靱負 うら-ゆきえ
 
1795-1870 江戸時代後期の武士。
寛政7年1月11日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。弘化(こうか)4年江戸家老となり,ついで国家老や加判役をつとめる。元治(げんじ)2年隠居後も藩政に影響力をもち,革新派を支持した。その日記62巻は幕末維新史の貴重な史料となっている。明治3年6月1日死去。76歳。本姓は国司(くにし)。名は元襄(もとまさ)。通称は別に備後。号は慎斎。
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
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