1864年(元治1)6月に浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコJoseph Heco)が岸田吟香らの協力で発行した新聞。当初は手書きで《新聞誌》と題されていたが,65年(慶応1)5月から木版印刷の《海外新聞》となった。いずれも和とじの書籍スタイルで,自伝によれば月数回刊,発行部数は100部程度,多くは無料で頒布され,66年10月ごろまで続いたという。浜田はアメリカ領事館付通訳のかたわら,海外事情啓蒙の目的でこの新聞を発行した。〈海外新聞〉と名づけられたものは,ほかに1862年(文久2)の《官板海外新聞》(同年の《官板バタビヤ新聞》の続編),70年(明治3)大学南校発行の《官版海外新聞》,73年翻訳局発行の《海外新聞》,民間のものとしては76年東京弘容館発行の《海外新聞》などが知られる。
執筆者:平井 隆太郎
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同名の新聞が数種あるが、もっとも有名なのは、播磨(はりま)国(兵庫県)の漂流民(アメリカ国籍)ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵(ひこぞう))が横浜で発行していた日本初の民間邦字紙である。創刊は1864年(元治1)説と65年(慶応1)説があるが、現存するのは、65年3月13日入港のイギリス船のもたらした新聞を訳出した第1号から、翌年8月25日の入船による第24号までで、内容は各国事情の翻訳紹介である。ほかに1862年(文久2)8、9月に江戸で発行された『官板(かんぱん)海外新聞』と、70年(明治3)7月20日から翌年8月1日(51号)まで東京で発行された『官版海外新聞』がある。前者は『官板バタビヤ新聞』の後身、後者は箕作麟祥(みつくりりんしょう)らが外字紙を翻訳して発行したもので普仏戦争の記事を満載している。
[春原昭彦]
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…1862年(文久2)1月,幕府は御用書肆であった本所竪川三之橋の老皀(ろうそう)館に,これを《官板バタヒヤ新聞》と題して出版させた。同年2月には2冊目が,8月と9月には《官板海外新聞》と改題して3冊目および4冊目が出版された。内容はそれぞれ《ヤファンシェ・クーラント》の国別情報欄の抄訳で《バタヒヤ新聞》は1861年の8~11月分を,《海外新聞》は62年の1月分を原本とし,翻訳はいずれも蕃書調所を改称した洋書調所が担当した。…
…同年辞書印刷のため上海に渡航。同じころ,アメリカ帰りの浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)に啓発されて新聞に興味をもち,浜田の《海外新聞》発行に協力した。67年(慶応3)回船商社を設立,汽船を購入して江戸~横浜間の運送に従事。…
…居留地外国人が発行した日本語新聞は,このような状況に促されて出現したのである。これには,1864年(元治1)浜田彦蔵(アメリカ籍)が創刊した《海外新聞》をはじめとして,67年(慶応3)の《万国新聞紙》《倫敦新聞紙》,68年(明治1)の《各国新聞紙》《横浜新報もしほ草》,72年の《日新真事誌》などが知られている。いずれも英語に堪能な日本人協力者を得て発行されていた。…
※「海外新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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