海後宗臣(読み)カイゴ トキオミ

20世紀日本人名事典 「海後宗臣」の解説

海後 宗臣
カイゴ トキオミ

昭和期の教育学者 東京大学名誉教授



生年
明治34(1901)年9月10日

没年
昭和62(1987)年11月22日

出生地
茨城水戸市

学歴〔年〕
東京帝大文学部教育学科〔大正15年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲二等旭日重光章〔昭和51年〕

経歴
大正15年東京帝大助手、昭和7年新設の文部省国民精神文化研究所所員、11年東大助教授となり、22年教授。21年2月米国教育使節団事務局業務部員を兼ね、同年6月極東軍事裁判の法廷で戦前教育について証言。同年中央教育研究所を設立、22年地域教育計画「川口プラン」を発表。23年新制大学制度実施準備委員会委員。25年新設の東大教育学部教授、27年と32年に教育学部長。37年3月東大を定年退官、名誉教授。また33年から15年間日本教育学会会長を務めた。35年日本学術会議第一部長。教育勅語の研究を初め明治教育史研究に貢献、また社会科教育推進発展に尽力した。著書に「教育勅語成立史の研究」「日本近代学校史」「教育学五十年」、「海後宗臣著作集」(全10巻 東京書籍)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「海後宗臣」の意味・わかりやすい解説

海後宗臣
かいごときおみ
(1901―1987)

教育学者。水戸市に生まれる。1926年(大正15)東京帝国大学教育学科卒業。国民精神文化研究所研究部員を経て、1947年(昭和22)東大教授となり、1962年定年退職。昭和初年、吉野作造らの明治文化研究会に参加したことから、明治教育史の実態研究を開始し、数多くの優れた業績を生み出した。戦後には、新たに発足した社会科道徳教育に関する実践的研究を発表。主著に『教育勅語成立史の研究』ほか、『海後宗臣著作集』全10巻(1981)などがある。

[三原芳一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海後宗臣」の意味・わかりやすい解説

海後宗臣
かいごときおみ

[生]1901.9.10. 茨城
[没]1987.11.22. 東京
教育学者,日本近代教育史研究の権威。 1926年,東京大学文学部教育学科卒業後,大学院,大学助手を経て国民精神文化研究所員。 36年東京大学文学部助教授,47年教授。 62年に退官するまで教育学部の創設拡充に中心的な役割を果し,日本教育学会会長として教育学の発展に尽力した。また,教育学の広い領域に研究関心をもち,多彩な研究業績をあげた。主著『教育勅語成立史の研究』 (1965) 。『海後宗臣著作集』 (10巻,80~81) が刊行されている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「海後宗臣」の解説

海後宗臣 かいご-ときおみ

1901-1987 昭和時代の教育学者。
明治34年9月10日生まれ。海後勝雄の兄。昭和11年母校東京帝大の助教授となり,22年教授に就任。33年から日本教育学会会長をつとめる。明治教育史,社会科教育などの研究に力をそそいだ。昭和62年11月22日死去。86歳。茨城県出身。著作に「教育勅語成立史の研究」など。

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367日誕生日大事典 「海後宗臣」の解説

海後 宗臣 (かいご ときおみ)

生年月日:1901年9月10日
昭和時代の教育学者。東京大学教授
1987年没

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